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「更迭」で可能になった本部長就任

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 10月24日に山際大志郎氏が経済再生相のポストを離れた際、多くのマスコミは「更迭」と表現した。当人の政治経歴に傷を残すことになりかねないため、事実上の罷免であっても、形式上、辞職の体裁がとられたからである。そこには江戸時代の「切腹の沙汰」と相通じるものが感じられる。しかし、この更迭なる言葉は実に便利である半面、副作用を伴う。

 山際氏が任命権者の岸田文雄首相に「罷免」されたのであれば、それは左遷や降格に等しい。しばらくは役職に就かず、一介の議員として静かに活動しながら再起のチャンスを待つのが当然の姿である。しかし、大臣を降りてから10日もたたず、山際氏は自民党のコロナ対策本部長に就任し、世間を驚かせた。罷免ではなく、更迭だったからこそ、あり得たのである。

 自民党には幹事長をはじめとする三役がおり、通常、これらは閣僚以上の力を持っているし、要人としてSPの警護対象となっている。また、政務調査会に置かれている〇〇調査会や〇〇本部の長は数年にわたって務める場合が多く、その分野における並みの閣僚より影響力を発揮することは珍しくない。

 山際氏のコロナ対策本部長について萩生田光一政調会長は「コロナ担当相が党に戻ってきたときに機械的に引き継ぎをしていた役職だ」と釈明したが、それは内閣改造などで大臣を辞したときのことである。たとえコロナ対策では大きな失点がなくても、旧統一教会問題であれだけ疑念を持たれて更迭されたのであれば、本来はしばらく「謹慎」に徹することが求められる。

 自民党のコロナ対策本部長は、まさに与党のコロナ対策の責任者である。山際氏が了解しなければ、政府のコロナ対策は前に進められない。このため、「コロナ対策に限っていえば、経済再生相よりも党の本部長のほうが上」(中堅議員)かもしれず、山際氏は“横滑り”したにすぎないと見ることもできる。

 トランプゲームの「ナポレオン」では、“裏ジャック”が3番目に強いカードだとされている。永田町でも、内閣法や国会法にもとづく、いわば表のポストではなく、法律に根拠のない、自民党のポストの方が政策決定で中心的な役割を果たすことは少なくない。「議員は大臣や副大臣になったら役所で官僚たちに首根っこを押さえられるが、党では官僚たちが議員の前にひれ伏す」(閣僚経験者)からである。

 では岸田首相は何のために更迭したのかといえば、それは自らの政権と山際氏を守るためにほかならない。閣僚のみならず、副大臣と政務官は、国会から要求があれば出席義務が生じ、野党による追及の矢面に立たされる。当然のことながら内閣支持率も下がるし、サンドバッグよろしく、追及を受ける閣僚もぼろぼろになっていく。山際氏をひとまず野党の手の届かない「安全地帯」に移したのは、このためである。

 与党のポストは野党にとっていわば「治外法権」であり、みだりに口出しをすることはできない。かつてロッキード事件の灰色高官とされた佐藤孝行氏が自民党の総務会長を務めていたときも、野党は表立って何も言えなかった。だが、第2次橋本改造内閣で佐藤氏が総務庁長官として入閣すると、野党と世論の批判は一気に高まり、わずか12日間で辞任に追い込まれた。

 とはいえ、与党が隠れみのとしての役割を果たせたのは、今となってはもう昔の話かもしれない。本来、政党は「公器」であり、その透明性が大きく問われる。山際氏の本部長就任が世論から厳しく非難されたのも、もはや政党が公器であると見なされているからである。永田町に蔓延る曖昧さを少しでも取り除くためにも、自民党総裁である岸田首相は山際氏の本部長就任の理由を「丁寧に説明」する必要がある。支持率の回復を心から願うのであれば、そうした地道な努力の積み重ねが不可欠なはずである。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。