カルチャー

かつて日本を支えた巨大産業のすごさを実感! 【あなただけにそっと教える北海道「空知」の魅力】③

旧住友赤平炭鉱立て坑やぐら。
旧住友赤平炭鉱立て坑やぐら。

 できれば人に教えたくない北海道旅行の穴場、「空知」地域。第3回は空知の硬質な魅力にガッツリ迫ろう。

 空知を旅していると、通奏低音のように、いろいろな人との会話で聞こえてくる言葉が「炭鉱」だ。「炭鉱かぁ~、過去の遺物でしょ」と思ったあなた、実は私もそう思っていた。だが、空知ではその存在は、いまも生活や文化に影響を与え、人々の意識の奥底に深く根ざしている。そして、よそ者である私ですらも、巨人の亡きがらのようなその遺構を実際に目の当たりにすると認識が大きく変わった。かつて日本を支えた巨大産業のすごさを実感させらされたのである。

圧倒的な迫力の「立て坑やぐら」と大型機械

 空知地域は、最盛期の1960年代には約110の炭鉱、約1,750万トンの規模を誇った国内最大の産炭地だった。各地に「炭鉱の記憶」を伝えるための施設や博物館が存在するが、今回、訪れたのは「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」。

 赤平市では、大正時代に本格的な採掘が始まり、全盛期の昭和には多くの炭鉱が生まれ地域は活況を呈した。しかし、昭和30年代、政府が「石炭から石油へ」とエネルギー政策を転換したことで産業全体が斜陽に転じていった。

「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」。
「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」。

 大手の4炭鉱のうち最後まで残り、1994年(平成6年)まで稼働し施設や多くの道具類が残っていた住友赤平炭鉱を、2003年に鉱山の国際学会が赤平市で開かれたのをきっかけに、展示用に整理・整備。その後も炭鉱遺産のガイドを行う市民団体が結成されるなど保存継承の動きが高まり、2018年7月、旧住友赤平炭鉱立て坑やぐらに隣接してこの施設が新しく開館した。

ガイダンス施設内部の展示スペース。
ガイダンス施設内部の展示スペース。

 館内には、掘り出された石炭の塊や、実際に使われていた採炭用具など、約200点の資料を展示。それらも貴重だが、何よりも注目は、全国で唯一、立て坑やぐらの内部を見学できること。しかも元炭鉱マンの三上秀雄さん(72)によるガイド付きだ。見学は1日2回で有料。所要時間はおよそ90分だ。館内で簡単な説明を受けた後、安全のためにヘルメットを着用し、いざ見学へ。

地下へ降りるしくみを説明する、元炭鉱マンの三上秀雄さん。
地下へ降りるしくみを説明する、元炭鉱マンの三上秀雄さん。

 立て坑やぐらは、住友赤平炭鉱のシンボルともいえる存在。地下に張り巡らされた坑道に炭鉱作業員を降ろし、採掘した石炭を上げるためのいわばエレベーターである。屋上のやぐらには直径5.5mの巨大な滑車(ヘッドシーブ)が4つ備え付けられ、それでケージと呼ばれるかごを吊り下げ、巻き揚げ機によって昇降させるという仕組みだ。

 建物に入っていくと、鉄骨で構成された巨大な空間が出現。ヤードと呼ばれる操車場スペースである。う~ん、何という非日常感・・・。2基のケージ操作台が対になって並ぶさまは、まるで秘密基地のようだ。実はここは、アニメ映画『ぼくらの7日間戦争』(2019)の舞台となった廃工場のモデルにもなっている。

旧住友赤平炭鉱の建物に入ると、ヤードと呼ばれる巨大な空間が。
旧住友赤平炭鉱の建物に入ると、ヤードと呼ばれる巨大な空間が。

 ヤードの奥まで進んでいくと、ひときわ威容を誇る鉄骨が。巨大エレベーターの役目をする、立て坑やぐらの本体だ。昇降口には4基のケージを示す1~4の番号がふられていて、1と2、3と4のケージがペアになっている。1のケージが地上に上がるとき、2は地下に下りる「つるべ井戸方式」で、1と2は地下415m、3と4は地下615mまで降下する。運行速度は毎秒12m、1分間に720 mと当時のエレベーターとしては画期的な速さ。乗った人は気圧の変化で耳が痛くなるほどだったという。

ヤードはまるで秘密基地。右の壁際に置かれているのが4段のケージ。
ヤードはまるで秘密基地。右の壁際に置かれているのが4段のケージ。

 4本のケージ1本1本は縦4段に分かれていて、トロッコを一度に4車積載。人が乗るときは1段に18人ずつ、最大で72人が乗ったというが、実際に見てみるとかなり狭い空間だ。ガイドの三上さんは、「坑内に入る時はランプのバッテリーを携帯していますし、万が一のことを考えて大きくて重い酸素マスクも携行しています。さらに弁当やお茶、道具類を持った上で18人ですから本当にきつかったですよ」と苦労を語る。

立て坑やぐら本体ともいうべきエレベーター。右から1・2・3・4とケージが分かれている。
立て坑やぐら本体ともいうべきエレベーター。右から1・2・3・4とケージが分かれている。
鉱務員たちが地下で移動に使っていた斜坑人車。席が小さく乗り降りに苦労する。
鉱務員たちが地下で移動に使っていた斜坑人車。席が小さく乗り降りに苦労する。

 しかし、三上さんは「ケージには扉が無く、防護柵はパイプを横にして鎖で繋ぐだけのものでしたが、31年間一度も事故を起こしていません。建物は建設から59年経ち劣化が目立ちますが、やぐらは一切ゆがみがなく、滑車も今でもちゃんと回ります」と誇らしげでもあった。

 狭い階段を上って2階にある巻室(まきしつ)へ。直径56mmのワイヤーロープ2本を巻き上げてケージを昇降させていた直径5.5mの「巻き揚げドラム」やその運転席、巨大なスパナなど、ここにも珍しいものが多い。

2階の巻室には巨大な巻き揚げドラムやその運転席が。
2階の巻室には巨大な巻き揚げドラムやその運転席が。
運転席に座って記念写真。
運転席に座って記念写真。

 そして立て坑やぐらを見学したあとは、少し離れた場所にある「自走枠整備工場」へ。ここには、採炭現場の天井が崩落しないように自動的に岩盤を支える「自走枠」をはじめ、大型機械がいろいろと展示されている。「ドラムカッター」「ロードヘッダー」「タイヤショベル」「シャトルカー」などなど、アニメやマンガに出てくる兵器のようでもあり、機械マニアやアニメファンも心躍るのではないだろうか。

天井が崩落しないように岩盤を支える自走枠。
天井が崩落しないように岩盤を支える自走枠。
トンネルを掘り進めるロードヘッダーは兵器のよう。
トンネルを掘り進めるロードヘッダーは兵器のよう。
タイヤショベル。
タイヤショベル。
運転席に座ってみることもできる。
運転席に座ってみることもできる。

かつての場の空気が感じられる「炭鉱遺産」

 ガイドの三上さんは、施設の説明以外にもいろいろと興味深い話をしてくれた。
 「18歳から25年間、炭鉱で働いていました。閉山した時は43歳ですから、炭鉱仲間が集まると、72歳の私でも若手の部類です(笑)」

 「いま赤平市の人口は9,100人余りですが、炭鉱の最盛期は59,000人で、街にも建物がびっしり建っていました。この炭鉱で働いていた鉱員さんが3,600人、職員が720人。下請けを入れたら4,722人です。家族を含めるとものすごい数ですよ。赤平市は小学校が1校になりましたが、かつては11校あり、ある小学校は児童数が3千人でした。大手の4炭鉱があった時、給料日の夜の街は人とぶつかるぐらいたくさんの人が出ていて、駅前も多くの人で賑わっていましたね」

 「炭鉱が閉山したことで石炭は取り尽くしたと思われがちですが、この赤平炭鉱だけでも8億トンの埋蔵量のうち4860万トンしか取ってないんです。55年間操業してわずか6%です 。空知管内の石炭は10%も掘っていないと思いますよ。石狩炭田には日本の埋蔵炭量の半分近く、計算上は80~100億トンの石炭がまだ眠っているんですよ」

 過去のものと思われがちな石炭だが、日本の発電量の約3割は、いまだに石炭が担っている。しかし、輸入した方が安いため、99%以上を外国から購入し、輸入量は年間2億トン近くにもなる。地球温暖化で世界が脱炭素にかじを切る中、石炭は肩身が狭くなる一方だが、日本の近代化、戦後の経済復興は石炭があったからこそ。過去にどれだけ石炭が重要な産業であったのか、その陰にどれだけ多くの労働や犠牲があって日本経済が発展していったのか。自分の目で見て、場の空気を感じ取れる「炭鉱遺産」の役割は大きい。

 三上さんは最後に、「受け止め方は人それぞれですから、歴史に興味がある人、廃虚マニア、機械マニア、アニメファン、誰でも歓迎です。最近は遺産と捉えてくれる人も増えました。空知にはここ以外にも炭鉱は多いですし、興味を持って追っかけていただければうれしいですね」とほほ笑んだ。
 そう、空知にはまだまだたくさんの炭鉱遺産がある・・・。

国内最多のアンモナイト化石コレクション

三笠市立博物館のアンモナイト展示スペース。
三笠市立博物館のアンモナイト展示スペース。

 旅の醍醐味(だいごみ)の一つは、めったにお目にかかれないものに出会えること。三笠市には、アンモナイトの化石を国内最多の約600点も展示している「三笠市立博物館」があると聞いて、どうしても訪れたかった。

 出迎えてくれたのは学芸員の唐沢與希(ともき)さん。挨拶もそこそこにアンモナイトの展示スペースに向かうと、おぉ、すごい! いきなりデカいアンモナイトがズラリ。なんともド迫力だ。最前列のものは直径がおよそ1.3m。日本最大級だという。この博物館にはどうしてアンモナイトを600点も展示してあるのだろうか。

さまざまな大きさ・形のアンモナイトが展示されている。
さまざまな大きさ・形のアンモナイトが展示されている。

 「北海道では、今からおよそ1億年前、中生代の白亜紀と呼ばれる時代に海で生きていた生き物の化石がたくさん見つかります。白亜紀の地層は北海道の真ん中を南北に突っ切る形で分布していて、三笠、夕張、芦別といった空知地域は特に多いです。アンモナイトの種類は研究者によって見解が分かれますが、世界中で1万~2万種類。うち約500種類が北海道で見つかっています。これは日本で最多。それで北海道はアンモナイト化石研究の中心的な位置に」
 なるほど。でも、そもそもアンモナイトって?

異常巻きアンモナイトと呼ばれるニッポニテスも見られる。
異常巻きアンモナイトと呼ばれるニッポニテスも見られる。

 「サザエのような巻き貝あるいはカタツムリの仲間だと思われがちですが、アンモナイトは現在のイカやタコの仲間。いろいろな形状をしていて、形によって分類されています」

 おっしゃるとおり、展示されているアンモナイトは実にバリエーション豊か。巨大なものから小っちゃいもの、ツルっとしたものやトゲトゲ・イボイボしたもの、平面的に巻いているものからバネのように立体的に巻いているものとさまざまだ。中にはでたらめにくしゃくしゃに丸まっているように見えるものもある。

 「それはニッポニテスという有名な種類で、異常巻きアンモナイトと呼ばれるものです。実はこれも非常に規則的な形であることが分かっています」
 展示のメインはアンモナイトだが、館内には恐竜の化石らしきものもちらほら。

アロサウルスの全身骨格(レプリカ)。
アロサウルスの全身骨格(レプリカ)。

 「北海道で見つかった恐竜の化石は5点ですが、そのうち2点がここにあります。夕張で見つかったヨロイ竜の頭骨と、芦別で見つかったティラノサウルスの先祖に近い恐竜の尻尾の骨です。恐竜ではありませんが、三笠市内で発見されたエゾミカサリュウ(海に生息していたモササウルスの新種)の頭骨もあり、これはこの博物館のご神体ともいえる大切なものです」
 ご神体を拝んで、さあ帰ろうかと思っていたら、唐沢さんの口から意外な言葉が。

エゾミカサリュウの頭骨は博物館のご神体。
エゾミカサリュウの頭骨は博物館のご神体。

 「あちらの部屋には、炭鉱関連の資料もありますので、ぜひご覧になって下さい。三笠は炭鉱で栄えた街でもありますので、炭鉱にまつわる資料も充実しているんです」

地下830mから見つかった約1.5トンの大塊炭。
地下830mから見つかった約1.5トンの大塊炭。
坑道内での粉じん爆発に対処した防爆型蓄電池機関車。
坑道内での粉じん爆発に対処した防爆型蓄電池機関車。

 そうか、ここでも炭鉱の記憶を大切にしているんだ・・・。見せてくれたのは、幌内炭鉱から掘り出された重さ約1.5トンの「大塊炭」、坑道で石炭の輸送に使われていた防爆型蓄電池機関車などの貴重な展示物。赤平市で見たようなものもあったが、ここの特徴は、炭鉱で働く人とその家族が住んだ「炭鉱住宅」と呼ばれる集合住宅や、炭鉱労働者の互助組織「友子」など、「炭鉱と人々のくらし」が分かるような展示。さらには、明治時代に刑務所の役目を果たし、囚人たちを炭鉱で働かせていたという「空知集治監(しゅうちかん)」に関する資料も充実。そこで使われていた日本最古級の水道管などが展示されていた。

炭鉱住宅のくらしが分かる展示も。
炭鉱住宅のくらしが分かる展示も。
脱走を企てた囚人に着けさせた鉄丸(てつがん)。
脱走を企てた囚人に着けさせた鉄丸(てつがん)。

 唐沢さんが最後に面白い話をしてくれた。
 「石炭を掘ったから化石が見つかったのかとよく聞かれますが、アンモナイトや恐竜の骨が見つかるのは約1億年前の地層。北海道の石炭はおよそ5千年前の地層ですから、石炭層からアンモナイトが見つかったわけではありません」

日本最古級の水道管。鋼鉄製から枝分かれした先では木製が使われた。
日本最古級の水道管。鋼鉄製から枝分かれした先では木製が使われた。

 石炭と化石、どちらも地中から掘り出される貴重なものだが、まったく違う時代のものですぞ。——でも、空知の地中にはどちらも眠っているのだなぁ。

(最終回へ続く)