ほんの数か月前まで、いや数週間前まで、自民党内における安倍派(清和政策研究会)は「別格」(自民ベテラン秘書)であった。100人近くの議員を擁する超最大派閥であったことに加え、この10年もの間、幹部議員たちが相次いで要職に就き、歴代の政権そのものを動かした。永田町に限らず、政治の世界では「権力が権力を生み出す」(党三役経験者)ため、飛ぶ鳥を落とす勢いは群を抜いた。
しかし、おごれる者は久しからずとは言い得て妙で、政治資金パーティー券を巡る裏金問題が表出すると、派内に大激震が走り、所属議員の顔から笑みが消え失せた。検察の捜査に多くの事務所は戦々恐々とし、派閥からの脱会をもくろむ者もいる。「みんな口をそろえて捜査の行方を見守ると言っているが、栄耀栄華を誇ったあの安倍派が崩れていっている」(自民中堅議員)ことは確かだろう。
この1年、岸田文雄政権は低迷を続けてきたが、この裏金問題によってまさに「弱り目にたたり目」の形容そのままに、内閣支持率は共同通信社の世論調査(12月16、17日)で22.3%まで落ち込み、過去最低を更新するに至った。そのため、「政権末期」「総辞職間近」といった見出しを用いるマスコミもある。支持率が30%を下回ると「危険水域」と見なされるため、こうした見方はあながち間違いではない。
当の岸田首相は臨時国会閉会に際しての記者会見で、「国民の信頼回復のために火の玉になって取り組む」と明言した。SNS上では「火の玉どころか、もはや火だるまではないか」といった痛烈な指摘が多く見られたが、永田町でも「もともとひょうひょうとした人だからかもしれないが、(今回の会見でも)気持ちがこもっておらず、危機感がまったく伝わってこない」(閣僚経験者)との批判がある。
だが、永田町と国民との間には温度差がある。国民やマスコミの間では「岸田首相はもう持たない」「早く代わってほしい」と思われても、永田町では不思議と「岸田降ろし」の動きはまだ見られない。麻生、茂木、岸田の主流三派が健在で、岸田首相にとって「目の上のたんこぶ」(自民若手議員)だった安倍派や二階派が壊滅的な打撃を被っていることが背景にある。
さらに、「岸田の代わりは誰なのか」との問いに、明確な答えがないこともある。政党を見ても、今の野党が政権を担えると思っている国民はほとんどいない。自民党内でも、岸田首相に取って代われる適任者は見当たらない。石破茂元幹事長の名前を挙げる者もいるが、「いつもは後から鉄砲を撃つが、今回はがぜん張り切り、珍しく正面から鉄砲を撃ってきている」と皮肉られるほど、依然として永田町での評判は芳しくない。
しばしば岸田首相は、何を目指しているのか分からないと言われ、それが支持率低下の一因とされてきた。「新しい資本主義」といっても、いまだにその中身は不明瞭である。しかし、リーダーとしてははなはだ本末転倒ながら、「何を成し遂げたいか分からない人に、天がついに『政治改革』というテーマを与えたのではないか」(前出・閣僚経験者)と見ることができる。
岸田首相が裏金問題をチャンスととらえ、抜本的な政治改革を掲げて小泉純一郎首相(当時)ばりの「反対する者はみな抵抗勢力」「自民党をぶっ潰す」と叫べば、わずかながらも支持率に回復の兆しが見られるかもしれない。少なくとも、抜本的な政治改革を掲げてその実現にまい進すれば、それは堂々たる“錦の御旗”となり、岸田首相は引きずりおろされにくくなる。
だが、時間的な猶予はないし、小手先の改革では火に油を注ぐことになる。「通常国会が始まる来年1月下旬までに思い切った改革案を示せるかどうか」(自民国対関係者)が一つの目安である。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」のことわざを具現化できるかどうかは、ほかならぬ岸田首相次第である。覚悟を決められなければ、来年9月の総裁再選はおろか、通常国会中の退陣が現実味を帯びるかもしれない。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。