はばたけラボ

子どもの成長に必要な大人のかかわり方 「褒める」から「感謝する」へ

 

 弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」にかかわる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)が、「褒める子育て」と「感謝する子育て」を考える——。

刈った草をボランティアで喜々として運ぶ子どもたち。
刈った草をボランティアで喜々として運ぶ子どもたち。

「褒めれば育つ」は本当か

 新型コロナ禍で外出・外遊びがままならず、室内で子どもと過ごす時間が長くなり、ついついわが子を叱り付ける場面が多くなることで、親は悩んでいるようです。

 巣ごもり生活でストレスを溜め込んだ子どもの一挙手一投足は、親のいら立ちを誘いがちです。そんなとき「褒めて育てる」という子育て論の呪縛がある親は、つい叱ってしまう自分を責めることになります。かといって、叱りたい言葉をぐっと飲み込んで褒めても何も良くならない。そんなことが続くと、不安になってくるのです。

 こんな書き出しをするのは、講演後に育児相談にくる人の中に、「褒めて育てているのにうまく育たない」という親が珍しくないからです。

 ある親から「私が褒め始めると息子はすぐにキレて、褒めるな! と叫ぶんです」と言われたことがあります。「褒めて育てなさい」という講演を聞いてから、どんな場面も徹底的に褒めてきたのに、と。

 褒めて育てる子育て論の話を真剣に聞いて、叱ってばかりの自分のこれまでの子育てを反省し、褒め続けたのですね。それなのに、効果が上がらないばかりか、褒めている最中にわが子がキレるのですから、不安にもなります。

 私は38年間、教育現場で仕事をしてきました。たくさんの児童・生徒と向き合ってきましたが、褒めることも叱ることも、決して簡単なことではありませんでした。褒めるにしても叱るにしても、相手が30人もいれば、受け止め方が一様ではないからです。生徒一人一人の成育歴、友人関係、そして気質の違いなど考えると、当たり前のことです。そんな生徒たちの心理を深読みしながら訴えてきたので、彼らにはそれなりに響いたと思うのですが、“教師が生徒”に訴えるのと、“親からわが子”に訴えるのとでは、全く別物です。

 「自分の言葉で“人の子”は育っても“わが子”は育たない」と感じてがくぜんとしたことがあります。狭い家庭内における息の詰まるような親子対面教育は、うまくいかなくて当たり前と思った方がいいようです。

 さて、子育てで「叱る」より「褒める」がなぜ良いのか。それは、褒められるとドーパミンのような神経伝達物質で快感を覚え、次の活動意欲を喚起するからです。

 ところが、子ども自身が納得していない事柄までも、むやみやたらに褒めてしまったらどうでしょう。「褒めるとキレる」という子どもは、親から褒められた後に、友だちにからかわれた経験があるのかもしれません。それならば、褒め続けるとキレるのは当然の成り行きです。「何にでも褒める親」に対して、子どもは「育児放棄」だと感じるかもしれません。

 だから、むやみに褒めれば育つのではありません。褒めれば育つ場面で「褒める」と育つ。逆に、叱られて育つ場面では、叱らなければ育ちません。

 この「褒める」べきか「叱る」べきかの判別は、常にケース・バイ・ケースです。言い方を変えると、臨機応変です。子どもも場面も、常に流動的で複雑ですから、因果関係のように、同じ結果にはならないのです。これでは禅問答のように難解です。でも、真剣に苦悩する親の姿は、子どもに何かを伝えることになります。簡単に「育児放棄」をしてはいけません。

 「褒める」か「叱る」かの話をしてきましたが、もう一つ別の視点から子育てを考えることができます。

 私が子どものころ、家事(掃除・洗濯・炊事)はあまりしませんでしたが、家業(搾油業)の手伝いはよくしました。そのたびに「手伝ってくれて助かった、ありがとう」といつも言われました。私の勤勉体質は、この言葉のおかげだと思っています。このことを講演で話した時、スーパーの副店長が、私にこんな話をしてくれました。

 「私は山形県出身です。小学校高学年のとき、たまたまの思い付きで、早朝に、玄関から道路まで雪かきをしたことがありました。その日、家族みんなから『ありがとう』と言われました。うれしくて、それから高校を卒業して就職して家を出るまで、その雪かきを続けました。いつのころからか、『ありがとう』とは言われなくなりましたが、雪かきが家族みんなの役に立っていることが分かっていたから続けられました。

 スーパーに就職してからも、毎朝1時間早く出社して、店内とトイレの掃除をしています。店長からその仕事を依頼されたことは一度もありません。掃除をすると自分も爽快だし、お客さんも快適だろうと分かるから続けているのです。昨年から、年齢的には若い副店長になりましたが、もちろん掃除を続けています。みんなが応援してくれるのは、毎朝の掃除に取り組んできたからかもしれません」

 私は73歳になりました。今でも、汗でずぶ濡れになるほど畑仕事をすることをいとわない気質は、少年期の体験に起因しています。少年期の私は、「褒められた」ことより「感謝された」ことの方が圧倒的に多いのです。自分のことだから言い切りますが、私は「褒められて育った」のではなく「感謝されて育った」のです。言い方を変えると、感謝された経験が、私を「人の役に立ちたいと思い続ける子」にしたのです。

 親が台所仕事をしていると、「やらせて」「したい」「できるようになりたい」と言ってきます。調査によると、5歳がピークで、9歳ごろには言わなくなります。これは「成長したい」「味覚を発達させたい」「役に立ちたい」という3つの本能的な欲望が成せる発達期の現象です。

 しかも、子どもには「労働」と「遊び」の区別が付きません。台所仕事をさせることで、子どもは「遊び」ながら「勤労意欲」を身に付けるのです。そこに、「自分は人の役に立っている」という快感まで伴うのですから、これ以上の健全育成の基礎づくりはありません。

 「褒める」より「感謝する」。そんな気持ちで子育てに向き合ってみませんか。

竹下和男(たけした・かずお)
 1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。

 #「弁当の日」応援プロジェクト は、子どもが作る弁当の日の実践を通じて、健全な次世代育成と持続可能な社会の構築を目指しています。より多くの方に「弁当の日」の取り組みを知っていただき、一人でも多くの子どもたちに「弁当の日」を経験してほしいと考え、キッコーマン、クリナップ、クレハ、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、日清オイリオグループ、ハウス食品グループ本社、雪印メグミルク、アートネイチャー、東京農業大学、グリーン・シップとともにさまざまな活動を行っています。