カルチャー

コラム「旅作家 小林希の島日和」 隠岐古典相撲がつなぐ絆

 「うおぉー!」という大歓声が湧き上がり、熱気に包まれる中、雪のごとく大量の塩が空を舞う。声援の塩に清められながら、腰にまわしを締めた力士が颯爽(さっそう)と土俵に入り、いざ、ガチンコの真剣勝負!

 9月14日の夕方より「第15回 隠岐古典相撲」が隠岐諸島の隠岐の島町で開催された。同諸島の各地区から選ばれた約200人の力士が夜を徹して相撲を取り、翌日の昼前まで続く伝統行事である。

 これを機に、相撲の発祥地を調べてみると、出雲だという説があった。それは、『古事記』の国譲り神話で、タケミナカタとタケミカヅチが稲佐の浜で力競べを行ったということと、『日本書紀』における垂仁(すいにん)天皇紀の記述に出雲国の野見宿禰(のみのくすね)と大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)が相撲を取り、野見宿禰が勝ったとあるからだ。

 相撲に縁の深い島根県の隠岐では、江戸時代に古典相撲の原型となる宮相撲が始まり、村々の神事で奉納されていたらしい。一度は廃れたが、1971(昭和46)年に「隠岐古典相撲大巾会」が旗揚げされ、古典相撲が復活。以降は、島内で祝事があった時のみ開催が決まる。

 今回は、隠岐の島町町政20周年を祝して、12年ぶりの開催となる。島の若い力士は初参加が多かったようで、大人たちが土俵の周りから作法など口を出し、伝授している光景が見られた。

 行司も呼び出しも力士も、皆普段は島のおっちゃんや中高生だ。しかし、行事といっても神事であるし、皆の姿勢は真剣そのもの。

 この相撲、別名「人情相撲」という。取組は二番あり、一番に勝った力士は次に勝ちを譲るというルールがある。島内で遺恨を残さないために、全員が一勝一敗となるのだ。それでも二番勝負だって本気で挑む。観衆も「やってしまえ!」と、勝敗が明らかでも声を上げて応援する。

 終盤は、島内で選ばれた大関、関脇、小結(三役力士)の取組となり、熱気はヒートアップ! 今回、大関として参加した男性は、父親も大関で強かったらしい。「力強さは遺伝するんですね!」と私が口にすると、「力が強いだけではダメ。心技体が備わった人が選ばれる。だから三役力士になるのは名誉なんです」と島の人が教えてくれた。

 大会の勝者は、土俵に立てられた四本の柱を授与される。柱には神が宿るという。それを家の軒下につるし、家族や地域の守りとする。

 伝統行事を通して人情を学び、地域や家族の絆を深める。都会で暮らす私には、とても眩(まぶ)しく映った。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 41からの転載】

小林希(KOBAYASHI Nozomi)/1982年生まれ。出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。