社会

比前大統領が指揮した暗殺集団 【水谷竹秀✕リアルワールド】

 フィリピンのドゥテルテ前大統領(80)が3月11日、国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)によって逮捕された。容疑は2011年11月から19年3月までの間、「人道に対する罪」を犯したというもの。ミンダナオ島ダバオ市長時代は、「ダバオ・デス・スクワッド」(DDS)という暗殺集団を指揮し、容疑者らを一掃した。16年6月に大統領に就任して以降は麻薬撲滅戦争を展開し、薬物犯罪の容疑者ら約7千人を殺害したとされる。前大統領は香港からマニラへ帰国した際に逮捕され、ハーグへ移送された。ICCで行われた公判前手続きにはオンラインで参加。次回の審理は9月23日に予定されている。

 私はドゥテルテ前大統領が在任中の17年、DDSに関与していたという現職警官に取材をしたことがある。当時30代半ばの彼は、「DDS」という言葉はメディアの造語に過ぎないと言い切ったが、警察内部に容疑者を殺害する「機密部隊」が存在することは認めた。その手口についても彼は明かした。

 「部隊は各自治体から入手した容疑者リストを基に、幹部の指示に沿って計画を進める。標的は、麻薬の密売人や窃盗犯などの軽犯罪者。まずは違法行為をやめるよう警告し、従わない場合は抹殺する。現職警官が殺害することもある」

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 現場では見張り役を周辺に配置し、続いてオートバイに乗った2人組が標的に近づき、45口径拳銃で射殺する。これが主な手口だ。しかし、「本当に警官が殺害するのか」と念を押して確認すると、彼は間髪入れずに「イエス」と言った。日本の常識では考えられない現実だが、その背景にあるフィリピン側の事情も彼は指摘した。

 「容疑者の逮捕・立件には長期の手続きが必要だ。しかも、保釈されればまた犯行を繰り返す。だから司法制度自体に問題がある。この状況を打開して安全な街づくりを進めるには、『殺害』で一掃するのが手っ取り早い」

 司法制度の問題は根深く、短期間での改善は予算的にも腐敗した体質的にも望めない。既存の制度に頼っていては、治安の改善にはいつまでたっても結び付かない。この主張は、麻薬撲滅戦争も同じ流れを汲んでいるだろう。

 しかし、だからといって人の命まで奪って良いのか。犠牲者の遺族をはじめとする反発の声は国際社会にも広がったが、ドゥテルテ政権を退陣に追い込むほど大きなうねりには発展しなかった。ICCは捜査に乗り出すも、ドゥテルテ氏はフィリピンをICCから脱退させた。任期を終えてマルコス大統領に代わり、前大統領の娘、サラ副大統領との間に軋轢(あつれき)が生じる中で、今回の逮捕が実現した。マルコス大統領は会見で「ICCの逮捕状を受け取った国際刑事警察機構の要請に応じて役割を果たしただけだ」と語っており、両者の溝は深まるばかりだ。前大統領支持派と麻薬撲滅戦争の犠牲者らによる集会も開かれ、5月に控える中間選挙を前に、フィリピン社会は混迷を極めている。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 14からの転載】

水谷竹秀(みずたに・たけひで)/ ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、「日本を捨てた男たち」で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。