ここ日本では2011年の東日本大震災・原発事故以来、「きずな」という言葉がひとつのキーワードとして、テレビ、ラジオ、マスコミなどで盛んに使われている。
きずな(絆)がそれだけ強調されるということは、裏返せば、いかにわれわれがつながっていなかったか、ということを示しているのではないかと思うのである。
ジョン・レノンと先妻シンシアとの間の子ども、ジュリアンの2011年のアルバム『エブリシング・チェンジズ』には、この「きずな」について考えさせられる歌が収録されている。「ディスコネクテッド」(disconnected)という歌だ。
意味は要するに、“つながっていない”ということである。
「ディスコネクテッド」にはいくつかの段階があると思う。まずは個人的なレベルで他とのつながりを喪失した、させられた状態のことだ。
ジュリアンの場合、ジョンや他のビートルズ・ファミリーとの関係がそれにあたる。
ジョンとシンシアは68年に正式離婚する。ジュリアンが5歳の時だ。
ジョンは自分の子どもであるジュリアンへの愛情を示すとともに、次のように語ってはばからなかった。「この地球上にいる人間、特に西欧世界の人間の90パーセントは、土曜日のウィスキーひと瓶が原因で生まれてきたのだ。親が子どもをつくろうっていう意志なしで、生まれてきたのだ。だから、ぼくらの90パーセントは、誰もかれも、偶然この世に生まれてきたのさ」、「ショーン(ジョンとオノ・ヨーコとの間の息子)は、両親がつくりたいと思って生まれてきた子どもだよ。そこに差があるのだ」。
ジュリアンが父に対して複雑な感情を抱いていたことは想像に難くない。「父は確かに、偉大なる才能に恵まれ、世界に向けて平和と愛を訴えて立ち上がったすばらしい人間だ。でも同時に、その平和も愛も、最初の家族、つまり母(シンシア)とぼくに対して示すのは、とてもむずかしかったようだ」とシンシアの伝記本『ジョン・レノンに恋して』(河出書房新社)の序文に書いている。2005年のことだ。
ジュリアンにとって、特に80年のジョンの死後に彼の歌などの権利の管理を一手に引き受けているヨーコとの折り合いが難しかったようだ。ヨーコのものごとのやりかたを軽蔑しているかのような発言をしたことさえあった。
2009年にジュリアンは初めて父を許すことが出来たと語った。ジョンの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」のモデルになった、ジュリアンの旧友ルーシーを追悼して書いた「ルーシー」という曲がきっかけとなった。
「父が出て行って母と離婚し、ぼくは苦しみと怒りとともに生きてきた。友人のルーシーが亡くなって、この曲を書いたことによって、本当に父を許すことが出来た。もし父に対する怒りと恨みを感じ続けていたら、ぼくの頭の上には、一生雲があっただろう。この曲をレコーディングしたあと、ほとんど自然に父を許し、苦しみと怒りと恨みを過去に置いてきて、よいことに目を向け、享受することが適切だと感じられた」。
2010年にはニューヨークのギャラリーで行われたジュリアンの写真展のプライベート・プレミアで、彼と母シンシア、ヨーコ、そしてショーンが勢ぞろいしたのだ。
ジュリアンは「カギを握っているのはショーンだ。もしぼくがショーンの母親を傷つけたとしたら、それはショーンを傷つけることになるからだ」と語っていた。
しかし翌年、再び、ジュリアンは自分と母シンシアがビートルズの歴史から消し去られようとしているとして落胆を吐露することになる。つまり、ポールのナンシーとの結婚式に招かれなかったこと、シルク・ドゥ・ソレイユによるミュージカル「LOVE」の5周年記念式典に招かれなかったこと、ジョージ・ハリスンの伝記映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」のプレミアに招かれなかったことに対し「冷遇された」、「冷たくあしらわれた」(snubbed)とツイッターで心情を明かした。
ジュリアンが他のビートルズ・ファミリーと「ディスコネクテッド」、要するにつながっていないということに対する不満なのだ。
そして、「ディスコネクテッド」の究極的な段階とは、神とのかい離、隔絶だと示し、この歌で、そういう状況にあるわれわれをジュリアンは嘆き、神の救いを求め、やすらぎの場所を神が提供してくれるようにとお願いしている。
「目を閉じて、息をすることを学ぼう。命と愛をゆりかごに入れて眠らせよう、そしてそれらを流れるようにしよう。なぜなら、ぼくは、皆同じだと信じているから。なぜなら、ぼくたちはみんな隔絶させられているから」と歌う。
「ぼくたちの魂をお救いください」と懇願しているのである。
84年にアルバム『ヴァロッテ』で鮮烈なデビューを果たしたジュリアン。その彼も2016年4月8日には53歳となった。約1年前にシンシアは他界した。75歳だった。シンシアの死に際してはビートルズ・ファミリーから追悼のメッセージが寄せられた。
「コネクテッド」(connected)された絆を求めてやまないジュリアンの心にはたして平穏は訪れているのだろうか。
(文・桑原 亘之介)
桑原亘之介
kuwabara.konosuke
1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。