ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻が別居していた「失われた週末」と呼ばれる、1973年秋からの18カ月の日々。その時ジョンは、彼とヨーコの元・個人秘書で、プロダクション・アシスタントを務めていた中国系アメリカ人のメイ・パンと恋人関係にあった…。これまでは単なるスキャンダルやゴシップの類いとして伝えられることが多かった「失われた週末」について、メイ本人が「私の物語」として語るドキュメンタリー映画『ジョン・レノン 失われた週末』が、5月10日から全国公開される。メイ・パンに話を聞いた。
-まず、この映画はどういう経緯で作られたのかをお聞きしたいのですが。
25年前に私が自伝本を出した時に、今回、監督を務めたイブ(・ブランドスタイン)から、「あの本を映画化したい」という話がありました。でも、その時は断って、それからずっと会っていなかったの。それで、ある時彼女とニューヨークで再会した時に、「最近は何をしているの?」と聞いたら、「ドキュメンタリーを作っている」と。それを聞いた時に、劇映画ではなくドキュメンタリーならば、私が自分の言葉で話せると思ったの。それから彼女が、ほかの2人のプロデューサーに声を掛けて、3人で共同監督をすることになった。それぞれの意見をちゃんと私に聞かせてくれて、私はそれに納得することができたので、この作品が出来上がりました。
-この映画では、「失われた週末」に関するさまざまなことが分かって、とても興味深かったのですが、メイ・パンさんにすれば、皆に真実を知らせたいという気持ちがあったのでしょうか。
その通りです。まさにその通り。
-最近のジョンのイメージは、「愛と平和の人」みたいに言われてしまうことも多いのですが、それは彼の一面であって、彼はもっと多面的な人だったと思うのですが、メイ・パンさんにとっての彼のイメージはどういうものだったのでしょうか。
とても人間的で楽しい人だったと思います。もし何か間違ったことがあったら、「悪かった」とちゃんと口にすることができる人。彼は特別な人ではなくあなたや私と同じだと思います。ただし、音楽や詩の才能に恵まれて、その才能がとんでもなかったのだけれども…(笑)。もう一つ分かってほしいのは、彼には、非常に繊細で傷つきやすいところがあったということ。だから私には、彼のミストレスである以上は、こうしなければいけないと思い込んだところがあったけれど、彼は1人の男と女として楽しくなれることを望んでいました。ジョンにはしばらく会わなかった友達もいたけれど、彼らと会うことで、ジョンの違うレベルが引き出されると思ったので、私はできるだけいろんな人に彼を会わせるようにしました。ビートルズだった時には会えなかったような友達。それが彼の別の面での創造性につながったんじゃないかと思います。私はこの映画を通じて、皆さんが見ているジョンが彼の一面だとすれば、もっといろんなところを見せたいと思ったんです。
-この映画の中でも少し触れられていましたが、以前からジョンの妻のオノ・ヨーコさんが「ジョンと付き合ってみたら」とメイ・パンさんに言ったということにとても不思議な感じがしていました。その辺りの話が、スキャンダラスに伝わっている部分もありますが…。
ジョンとヨーコの間がややこしくなった時にちょっとそんな話があったけど、その時は別にどうということはありませんでした。その後、ジョンの方から私にアプローチしてきたので、ヨーコは一切関係ありません。私としてはもう好きにしてよという感じだったの。だから、ヨーコが何か言ったから私がそうしたということではありません。