1 総論
(1)主要国のインフレ動向
世界の消費者物価は国際商品市況の落ち着きや、これまでの金融引き締め環境持続を背景に、世界的な高インフレ局面は一巡してきた。ただ米国では、家賃などの住居費を中心にサービス物価の寄与が底堅く推移している。また、ユーロ圏では金融引き締めに伴う通貨高や食料・エネルギー・物流価格の下落により財価格は上昇幅が低下する一方で、労働需給の逼迫(ひっぱく)に伴う賃金のプラス幅拡大によりサービス価格は底堅く推移してきた。
こうした中、よりコストプッシュ(原材料費などコストの上昇)の要素が大きい日本のインフレ率は、円安進行によりその低下が遅れており、昨年も国内需給のタイト化や賃金上昇による内生的な物価上昇に十分には至っていない。
(2)主要先進国の金融政策
世界的な高インフレ局面の一巡に伴い、欧米では昨年半ば以降に利下げに転じている。ただ、インフレ加速の懸念がまだ燻(くすぶ)っていることから、長期金利は依然として高水準にある。
しかし、米国の政策金利はまだ中立金利水準とされる3%を大きく上回っており、既に失業率は上昇トレンドにあることから、2025年以降もインフレ率の再加速が継続するようなことがなければ、米連邦準備制度理事会(FRB)は半年に1回程度のペースで政策金利の引き下げを実施するだろう。
一方のユーロ圏のほうも、サービスインフレが底堅さを示しているものの、景気も停滞を続けているため、欧州中央銀行(ECB)も2%程度とされる中立金利に向けて緩やかな利下げを続けることが予想される。
こうした中、日銀は24年7月の追加利上げをきっかけにタカ派に豹変(ひょうへん)している。このため、中立金利の最低水準とされる1%に向けて、半年おき程度のペースで緩やかな利上げが続く可能性が高いだろう。そして、仮に円安が持続するとすれば、利上げペースが早まる可能性もあろう。
(3)海外景気
24年の世界経済は、米国は積極的な財政政策効果などにより、総合PMI(製造業購買担当者指数)が好不調の分岐点である50を上回り続ける一方で、日本とユーロ圏については世界的な製造業の停滞などを受けて一進一退となった。
米国経済の強さの背景には、移民流入の増加による潜在成長率の上振れや、物価上昇を上回る賃金上昇の継続、新型コロナウイルス流行で積み上がった過剰貯蓄の取り崩しなどもある。加えて、半導体産業の振興を目的としたCHIPSプラス法などの効果が継続して、設備投資の緩やかな拡大傾向が続いている。一方で住宅着工は、住宅ローン金利の高止まりを受けて弱い動きがみられることには留意が必要だが、総じてみれば、力強い国内需要を背景に25年も減速しながら景気拡大が継続する可能性が高いだろう。なおリスクとしては、労働需給の逼迫や関税引き上げなどに伴うインフレ率の再加速である。こうなると、政策金利が高止まることや資本コストの上昇を通じた設備投資の減少などを通じて、経済が悪化する可能性が懸念される。
一方、インフレなどにより消費者マインドの改善ペースが弱いユーロ圏の景気だが、物価上昇を上回る名目賃金上昇の継続などを受けて、25年の欧州経済は幾分持ち直すとみる。ユーロ圏についても政策金利が高止まるリスクはあるが、政策金利引き下げ期待が高まれば、消費マインド改善に伴う消費性向の上昇や、脱炭素・デジタル化に向けた設備投資支援効果の発現が期待できよう。
こうした中、不動産市場の停滞により構造的に需要不足となっている中国経済が、引き続き最大の懸念材料となろう。昨年打ち出された政策支援による自動車販売の増加や、製造業やインフラ関連投資の増加などにより、景気に持ち直しの兆しがみられている。しかし、不動産市場の停滞などを背景に家計の雇用所得環境の実感は厳しく、引き続き消費が停滞することから、25年の景気も足踏み状態になろう。中国人民銀行も金融緩和に着手しているが、地政学的緊張の高まりによる中国からの資本流出が加速するリスクも高まっている。こうした中で、特にコロナ禍以降に少子化に拍車がかかっており、中国の経済成長率は長期的にも伸びが抑制される可能性が高いと言えよう。
(4)国内景気
このように、米国を中心に金融引き締め環境のわりに底堅く推移してきた世界経済は、25年にかけてリセッションは避けられるものの、米中両国を中心に減速が不可避となろう。
こうした中で、肝心の日本の景気は相対的に成長の加速が予想される。背景には、実質賃金のプラスや経済対策の効果を原動力とした個人消費の回復、引き続き政府の支援策の恩恵も受けたGX・DX・レジリエンス(強靱(きょうじん)さ)強化向けの設備投資、インバウンド消費の更なる拡大がある。
なお、当面のリスクは財消費の抑制要因となっているコスト・プッシュ・インフレ(原材料費などコストの上昇が原因で発生するインフレ)の影響に加え、世界経済の減速による輸出や生産・設備投資への悪影響だが、前回のトランプ政権時には米中両国の追加関税のかけ合いの影響で2018年10月から景気後退局面入りしている。このため、保護貿易の動向次第では景気腰折れの可能性もあろう。
ただメインシナリオとしては、25年以降の国内景気は、海外経済の悪化を受けて減速を余儀なくされるものの、実質賃金プラスに伴う底堅い国内消費や設備投資、インバウンド消費や経済対策効果が下支えとなることで、緩やかな回復を続けると予想する。
2 各論
(1)春闘&日銀
25年の春闘賃上げ率は、33年ぶりの賃上げ率となった前年並みの結果になることが期待される。そうなれば25年のベースアップも3%を上回ることが予想される。賃上げ期待の背景には、①物価高による従業員の生活保障 ②堅調な企業業績 ③人手不足感の強まりーがある。また、連合が24年に引き続き賃上げに向けたトーンを強める一方で、経営者側も優秀な人材確保に対応すべく前向きな姿勢を見せているため、賃上げ機運は25年も高まるだろう。
そして、こうした動きは日銀の追加利上げを促す可能性がある。日銀は植田和男総裁の体制になってから実質賃金がマイナスでも利上げ局面に入っているが、25年はインフレ率が鈍化する一方で、24年後半並みの名目賃金上昇が期待される。
このため、25年は安定して実質賃金の伸びがプラスになることが展望され、物価と賃金の好循環が実現したとして、日銀は中立金利とされる1%に向けて1〜2回の追加利上げに動く可能性があるだろう。
(2)経済対策
総合経済対策もポイントだろう。24年度の補正予算は13兆9千億円の規模となった。中でも今回の対策の柱となるのが物価高対策。具体的には、住民税非課税世帯への3万円給付や冬場の電気ガス代補助金の再開が盛り込まれた。また、地方創生臨時交付金を活用し、地方自治体主導での物価高対策を実施する。ただ、電気ガス代補助金は3月までであり、給付は過去の経験から7割以上が貯蓄に回る可能性があるため、消費押し上げ効果は限定的となるだろう。なお、国民民主党の掲げる103万円の壁引き上げやガソリン税の見直し検討が明記されたが、引き上げ幅などはまだ流動的なため、今後の税制改正に向けた議論の行方が注目される。
また、「国民の安心・安全の確保」として災害復旧や防災、減災、国土強靱化が盛り込まれている。しかし、こちらも人手不足などにより予算執行が遅れる可能性があることには注意が必要だろう。
その他に注目される項目として、最低賃金を20年代に全国平均で1500円へ引き上げることが掲げられている。しかし、この実現のためには年7〜8%ペースでの引き上げが必要となり、経済界の反対も含めて相当ハードルは高いだろう。また、地方創生交付金の当初予算ベースで倍増も掲げられているが、24年度当初予算への計上額は1千億円のため、これを倍増しても経済効果は限定的だろう。
加えて、AI(人工知能)や半導体分野への複数年度の公的投資のスキームが示されているが、25年度のGDP押し上げ効果は+0・6%程度になると試算され、対策がなければ+0%台前半と予想される経済成長率を+1%程度まで押し上げる程度の効果と予想される。
(3)トランプ政権
トランプ政権の動向も25年の景気を大きく左右するだろう。市場では、ドル高けん制、シェールオイル・ガス増産、追加関税、法人減税などが実施されることがコンセンサスとなっている。
トランプ政権1期目では、就任直後のトランプ大統領のドル高けん制発言により、就任前が最大のドル高局面となった。特に米国では既にFRBが利下げ局面に入っており、今後も緩やかな利下げが実施されることになれば、特にドル安圧力が強まることが予想される。
また、前回のトランプ政権を振り返ると、就任1年目はインフレ率が低下した。背景には、シェール増産の影響に伴う原油価格の下落があった。となれば、既にシェール増産観測で下がっている原油価格がさらに下がることで、25年は米国のインフレ率も低下傾向がより明確になる可能性がある。
そうなれば、FRBは利下げを進めやすくなり、政策委員の見通し中央値に近いペースで利下げが進むことになれば、年2回程度の利下げが想定される。となれば、レッドウエーブ(共和党が大統領職と上下両院を独占)の状況で法人減税の期待もあり、25年の米国経済は前回のトランプ政権1年目と同様に堅調に推移する可能性がある。
ただ、1期目のトランプ政権は追加関税を2年目に打ち出したが、今回は25年中に追加関税が打ち出されれば、世界経済への悪影響が懸念される。特に、前回18年3月に追加関税が打ち出されたのをきっかけに米中の追加関税合戦となったことで、日本経済は景気後退局面に入ったため、今回もトランプ氏が打ち出そうとしている追加関税の行方には注意が必要だろう。
第一生命経済研究所 永濱 利廣(ながはま・としひろ) 早稲田大学理工学部工業経営学科卒。第一生命保険入社後、日本経済研究センター出向を経て第一生命経済研究所所属。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了等も経て2016年より第一生命経済研究所首席エコノミスト。景気循環学会常務理事、衆議院調査局内閣調査室客員調査員、跡見学園女子大学非常勤講師、あしぎん総合研究所客員研究員、足利未来創生会議委員等を兼務。
(Kyodo Weekly 2025年1月20日号より転載)