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それほどひどい内閣だったのか

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 例年、台風の発生が増える頃、自民党の役員人事と内閣改造が行われるため、もはや季節の風物詩の類だといえる。そろそろ“クビ”になる大臣は、暑くなりはじるとそわそわし、ここぞとばかりに外遊に出かける。もちろん外遊とは巧みな表現で、中身は思い出作りの“卒業旅行”である場合が多い。もっとも、今年は人事が前倒しされた結果、8月中の“卒業旅行”を予定していた大臣は諦めざるを得なかった。

 この時期に人事が行われやすいのは、自民党の定期の総裁選が3年ごとの9月に行われ、党役員の任期が1年で切れる(再任可)ことが背景にある。党役員人事だけを行い、内閣の方は全閣僚をそのまま続投させることも可能であるが、「党と内閣をすべてガラガラポンすることが永田町の慣わし」(党三役経験者)になっている。

 岸田文雄首相は「難局突破のため」と「政策実現に全神経を集中させるため」を党役員人事・内閣改造を行う理由として挙げた。そして「とにかく新しい体制を早くスタートさせたい」と力説した。もっともらしく聞こえるかもしれないが、「ちょっと待ってくれ」と思う国民も多いはずである。

 人事を刷新することに問題はないし、それは最高権力者である首相の権限である。人事を行えば与党内における求心力は高まるかもしれないし、人心一新によって低下の兆しがある内閣支持率が上昇に転じるかもしれない。だが、これまでの内閣、これまでの閣僚のどこがいけなかったのか、全閣僚からの辞表を取りまとめなければいけない理由は何なのかが皆目わからない。これでは、これまでの内閣・閣僚では難局は突破できなかったと解されても無理はない。

 得てして日本人は「つくる」ことに重大な関心を持つが、「検証」は二の次になりやすい。国でも地方でも、予算に積極的に関わろうとする議員は多いが、決算や政策評価となると、急にトーンが落ちる。人事でも然りである。しかし、PDCAサイクルを持ち出すまでもなく、より良い未来は過去の厳粛な検証と反省の上に生まれるものである。

 岸田首相が指摘するように、新型コロナウイルスの再拡大や物価高、ウクライナ情勢、台湾情勢など、昨年の政権発足時と諸状況が大きく変化していることは確かである。だが、昨年、岸田首相があれだけ胸を張って任命した閣僚たちである。新たな状況に対応できないための交代か、それとも役割を終えたからの交代なのか、「お疲れさま」の一言だけではなく、ぜひ詳細に語ってもらいたいものである。

 とはいえ、岸田首相が挙げる改造の理由が、永田町の慣例・文化に即した“建て前”であることは誰もが知っている。人事の時期が早められたのも、旧統一教会の問題が予想以上に大きくなり、それを早く鎮静化させたいためであろう。関係者が閣内にいれば、国会で野党から集中砲火を受ける可能性が高い。

 さらに、岸田首相が語ることはないだろうが、任命されてから1年近くが過ぎると、「慣れと相まって、閣議や閣僚懇の席でも、見る見る緊張感がなくなっていく」(閣僚経験者)という。官僚統制や諸外国との関係上、短い閣僚任期に課題はあるが、緊張感と責任感が続かないのであれば、改造を断行するもっともな理由である。

 昨年から新閣僚の深夜の就任記者会見は取りやめになった。一昨年の河野太郎行革担当相(当時)の苦言によるものであるが、遅きに失した感もある。それならば、最後の日には単に各閣僚の短い「退任会見」「お別れ会見」などではなく、内閣を挙げての「検証会見」を開いてはどうであろうか。小中学校でも一つの学期が終われば通信簿が渡され、改善すべき点が記されている。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。