カルチャー

5児の母が語る講談と日常 凛とした姿に胸打たれる、一龍斎貞鏡の半生記

『貞鏡 講談絵巻本』一龍斎貞鏡著、竹書房、税別3182円

 仕事と子育ての両立で、文字通り息つく暇もない毎日。ハードルの数や高さ、乗り越え方は置かれた環境によりさまざまだが、子どもに向かう気持ちや、仕事に対する妥協のない努力に境界線はない。この本の著者は講談師だ。ピシッという張扇の音が、独特の口調で語られる歴史物語に緊張感を与える高座。そんなざっくりした印象しか持たない“講談素人“であっても、膨大な努力を重ねて“その世界”を駆け上がる凛(りん)とした姿に胸打たれ、慌ただしくも手を抜かずに仕事と家庭を丁寧に磨き上げる様子に、一つの目標を見いだすことができる一冊だ。『貞鏡 講談絵巻本』(一龍斎貞鏡著、竹書房、税別3182円)が3月6日に発売 される。

 講談の世界は世襲ではないが、著者の一龍斎貞鏡さんは、実父が講談師の八代目一龍斎貞山、祖父が七代目一龍斎貞山という“講談家族”。それでも大学時代まで講談にはまったく興味を持たなかったといい、客室乗務員やアクセサリーの販売員などきらびやかな職業に憧れていたという。ところがある日、友人と父親の高座を見て突然講談師になりたくなったのだそうだ。パジャマ姿やタバコを吸う姿しか知らなかった父親が、国立演芸場の高座で上品に堂々と講談を読む姿に衝撃を受けたのだ。

 だがもちろん、伝統としきたりが支配する世界は甘くない。数多くの失敗、心ない非難の言葉、そして2世、3世であるが故に正面から能力を認められないという理不尽さにも直面。その一つ一つを糧として「真打」にたどりついた。

 そしてなんと、この本を執筆中に出産、5児の母になった。毎朝子どもたちのお弁当を作り、朝食を食べさせ、保育園に送る。お迎えの夕方5時までめいっぱい使って仕事に奔走する。“働くママ“の誰もが経験する時間。でも講談師らしいエピソードが楽しい読みどころ。「人参じゃが芋切って、たまねぎ、ほうれん草、大石内蔵助良雄、原惣右衛門元辰、あ、お醤油がなくなった」と料理の途中にも赤穂義士の名前が顔を出す。

 出産で予定していた高座を断らねばならない状況に申し訳ない気持ちを持ちつつも、「妊娠報告をして責められる風潮を少しでも変えていかないと」と前向き。講談か子どもかと迫る批判の声に、「無理かもしれませんが精進いたします」と笑顔を返す貞鏡さんに勇気づけられる女性は多いはずだ。

 コロナ禍中に心の支えでもあった父親を亡くした。文化庁芸術祭で新人賞を受賞した時は、その父親が夢枕に立ったという。さまざまな苦労と哀しみ。家族と築くあたたかな場所がその傷を癒やす薬でもあることを、この半生記は浮彫りにする。

 これからの講談界を「前途洋々」と表現する。講談会は昼席でもほとんど満席なのだ。講談ファンは言うまでもなく、講談を聴きに行ったことがない、という人ならなおさら、新たな楽しみを探し当てる入口の扉となる一冊だ。

 text by coco.g