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清流・仁淀川とトマトのまち 日高村で暮らす移住者たち

清流・仁淀川とトマトのまち 日高村で暮らす移住者たち

 

 日高村は高知県のほぼ中央、仁淀ブルーと称される水質日本一の仁淀川の中流域に位置する。村の中心部をJR土讃線が通り、名所は高知市の土佐神社に次ぐ土佐国二宮である小村(おむら)神社や増水時に橋が川の下に沈んでしまう名越屋沈下橋(なごやちんかばし)。高糖度フルーツトマトである「シュガートマト」を誕生させた日本屈指のトマトの産地でもある。

 

高知市内から最も近い仁淀川のフォトスポット・名越屋沈下橋

 

■大好きでキラキラした場所を故郷に

 2023年11月に東京から移住してきた大塚友美さん。「そもそも高知県が大好き」になったきっかけは、大学生の時に幕末の歴史に触れ、坂本龍馬に魅了されたこと。「龍馬といったら高知に行くしかないと思い、よく独り旅をしていました」。バスが1時間に1本しかないのを待てず、「早く会いたくて歩いた」というほどの龍馬愛の持ち主だ。

 当時から高知県に憧れていたが、東京を離れる覚悟はなかった。その後、コンビニチェーン、海外での日本語教師、運送業などさまざまな職種を経験した。

 「大好きだからこそ、(高知を)選べる自分になってからでないと選べないと思っていたので、2022年10月に(移住を)決断できたことはとても大きくて。大好きでキラキラした高知をやっと選ぶことができ、高知県民になれた時はうれしくて一人で泣きました」

 

日高村に移住した大塚友美さん

 「故郷を作ろう」。移住を決断してからは毎週末のように高知に通い、知り合い作りに「時間とエネルギー」を費やした。移住前から高知の「お父さん、お母さん」ができていた。「坂本龍馬って“人たらし”で、女性にも役人にも好かれた。“まず人間関係を作ること”は一番大事にしている龍馬の生き方。ちなみに“決断力”は高杉晋作です」

 

坂本龍馬像

 

 日高村を移住先に決めたのは「人の温かさ」だった。「高知県の中でいろいろ考えましたが、特に協力隊担当の企画課の方がとても親切で、柔軟な考え方の人が多く、新しいことをどんどんやらせてくれる環境でしたので、日高村に決めました。決断してからは日高村1本でした」

 現在、屋形船仁淀川の受付業務をして働いている。「私は浅草出身で、隅田川をよく見ていました。隅田川も景観としては綺麗ですが、川自体が濁っていて。ここに初めて来た時に(仁淀川が)あまりにも澄んでいて、その美しさに感動しました。その美しさを伝えていけたらと思っています」。四万十川の屋形船と比べるといい意味で観光化されておらず、「自然のままの仁淀川を見て感じることができる」のが魅力だ。

 

仁淀川の清流

 今後は、船舶免許を取って船頭を目指す予定だ。「都会から来てくださったお客様は、景観の美しさ、そして水の澄み具合に驚かれることが多いので、都会で疲れた方にぜひ来ていただきたい」
 協力隊の任期は3年。その後については「まだ模索中ですが、ここは能津(のうづ)地域といって日高村の中でも少し田舎の方。能津地域が少しでも豊かになって笑顔になるようなことをやっていきたい」
「何かを成し遂げたい」と思ってきたが、移住してからは「それは大きなことじゃなくてもいい」と感じている。

 

■どんどん好きになる

 松島一家は2023年8月に神奈川から移住した。8歳の長男を筆頭に二男一女の5人家族だ。夫の圭祐さんは、ボディメンテナンス事業の起業をミッションに、地域おこし協力隊として日高村に着任した。
移住のきっかけは、2022年2月に東京新橋で開催された高知県のジョイントミーティングに参加したこと。その後、2泊3日のお試しツアーを経て、「100人の高知県民の体のメンテナンスをする旅」で毎月高知に通った。
 「旅が繰り返されるごとに僕がどんどんキラキラした顔で帰ってくるので、日高村に何かがあるんだなと感じ、次の“お試しツアー”に妻が参加。妻も移住する意識が芽生えました」

 

からだメンテナンス「体援隊」隊長の松島圭祐さん

 

 妻の多実子さんは、日高村地域おこし協力隊として「NPO法人日高わのわ会」に所属している。地域の困りごとを解決するために村の「お母ちゃん」たちが立ち上げたプラットフォームで、その活動の一つは村の特産品であるトマトの製造加工販売事業だ。

 日高村では、農家から集めてきたフルーツトマト1粒1粒の糖度と酸味を光センサーで測定し、糖度が7度以上で見た目も良いものをブランドトマト「シュガートマト」として出荷している。これら特産トマトを使って村内の飲食店がオムライスを提供する「日高村オムライス街道」の取り組みが10年前にスタート。現在そのメニューは40種類以上を数える。

 

「村の駅ひだか」内にある、日高わのわ会が運営する「とまとすたんど」のオムライス

 

 子育て環境への期待も大きかった。多実子さんは「(子どもたちは)最初は土佐弁が分からなくてなじむまでに時間かかりましたが、山や川で遊ぶことが増えて、昭和の日本みたいな子育てができています」と話す。
 「僕たち大人が人に頼る姿を見せる機会が少ないために、子どもたちも頼り方が分からなくなってきている」と危機感を抱いていたのは圭祐さん。6歳まで高知で過ごし、「子どもが大人からかまってもらい、大人同士が仲良く楽しそうにやっていた」記憶から、「互助力の高さ」に注目した。
その実感は日高村の「100人旅」の最中だった。施術を受けた村民から次々と新しい人を紹介され、「なぜ協力してくれるのか」と尋ねると、「当たり前やろ。100人達成したいんやろ? こんなの普通やで」と言われた。
 「(助け合うことが)当たり前だと思っている。文化として根付いている。子どもたちも、お互いに助け合うことが当たり前の環境で育てたいし、僕も子どももその文化を根付けたい。日高村と高知県がどんどん好きになっています」

 移住をきっかけに、夢も思い出した。多実子さんは封印していた「手芸作家」になる夢にチャレンジしている。「仁淀川はきれいなのに、これをモチーフにした作品やお土産がないので、それを作りたいと思って、川や海を表現したレジン作品を作っています」
 圭祐さんは、移動式の整体カー「体メンテナンスカー」を走らせることが目標だ。「キッチンカーにベッドを置いて整体を施す。高知県中ぐるぐる回って、体に困っている人たちの役に立ちたいです」