まめ学

【連載 列島を掘る!】直近の成果が凝縮された『発掘された日本列島2023』を超解説〜我がまちが誇る遺跡

発掘された日本列島2023
発掘された日本列島2023

 日本国内で行われている数多くの発掘調査の成果を国民に知らせ、埋蔵文化財の保護について理解を深める目的で文化庁が開催している「発掘された日本列島展」。今年で29回目だ。同展の図録の編集を担当した文化財調査官の大澤正吾さんが中身を詳しく解説してくれた。

我がまちが誇る遺跡:宮城県・名古屋市・八尾市

  単発の遺跡の調査で分かったことにとどまらず、継続的に調査研究をする中で「ストーリーとして分かったこと」、あるいは「継続した調査によって初めて分かったこと」を紹介するのが「我がまちが誇る遺跡」のコンセプトだ。

 ●全国屈指の貝塚密集地帯、宮城県仙台湾の貝塚

  宮城県の仙台湾周辺の貝塚は、「学史上も非常に有名な貝塚群。縄文時代の貝塚研究をリードしてきました」。貝塚は、有機質の遺物が貝層によって残るという特性がある。「普通の土だと溶けてなくなるものも残っているのが大きな特徴」

 見どころは、骨角器など有機質の遺物の豊富さ。「非常に細工が細かく造形が優れています」。何より大事なのは、「この貝塚研究によって、どう縄文時代の生活が復元されてきたのか。そういうところをご覧いただきたい」

仙台湾の史跡里浜貝塚の貝層
仙台湾の史跡里浜貝塚の貝層
仙台湾の貝塚から出土した骨角器や釣り針
仙台湾の貝塚から出土した骨角器や釣り針

 

 ●日本窯業の源流、名古屋市の猿投窯とやきもの文化

  名古屋市は“窯業”がテーマだ。瀬戸物や常滑焼といったやきものの大元の源流は、愛知県名古屋市の猿投窯にあることが分かっている。猿投窯で生産が始まったのは古墳時代中期。「須恵器の生産から始まって、そこから緑釉陶器、灰釉陶器、山茶碗の生産を続けて、その工人たちが瀬戸に移動して瀬戸焼が始まりました」。さらに、その先では、「その瀬戸の工人の影響下で常滑焼が成立。その常滑焼の技術がさらに伝播(でんぱ)して、中世の代表的なやきものにつながっていきます」

 猿投窯から出土したものを時代順に並べて紹介しているが、見どころは。「焼き上がったものは出荷されて各地の消費地に向かっていくので、窯に残されているものは不良品。それでも緑釉陶器のキレイさは目を見張るものがあります」

猿投窯の窯詰めの様子
猿投窯の窯詰めの様子
緑釉陶器(名古屋市博物館蔵)
緑釉陶器(名古屋市博物館蔵)

 

●古代史の情景に思いはせて、八尾市の物部氏と幻の西京

 最後は大阪府八尾市。古代史上で重大なイベントに関わってきた“物部氏”をテーマにした遺跡だ。「八尾市付近が物部氏の河内における拠点でした。古墳時代中期頃の河内の地域は渡来人がたくさん入ってくる地域で、渡来人を率いた役割として物部氏がいた」。渡来系の人々が河内の開発に関与していたことを示す遺物や、物部氏の河内における拠点の建物と考えられている大型建物が発掘されている。

大規模な群集墳である高安千塚古墳群の一つ、大石古墳の副葬品の装飾付須恵器。群集墳に葬られた人たちも物部氏と関わりがある
大規模な群集墳である高安千塚古墳群の一つ、大石古墳の副葬品の装飾付須恵器。群集墳に葬られた人たちも物部氏と関わりがある

 

 物部氏の物語はさらに続く。「物部氏は仏教の受容をめぐって蘇我氏と対立して敗れる。その後の古代史上のイベントとして八尾地域に登場してくるのが、称徳天皇と道鏡。彼らがこの地に由義宮(ゆげのみや)、由義寺(ゆげでら)を作って、西京(さいきょう)という都を作ろうという計画がありました」

 道鏡は、物部氏の一族である弓削(ゆげ)氏の出自とされる。由義寺は長らくその存在が分かっておらず幻の寺とされていたが、近年の発掘調査によって塔が見つかり、存在していたことが明らかになった。「西京の都は最後まで完成することはなく、称徳天皇が崩御し、道鏡が失脚する中で、計画も立ち消えになった。その西京の造営がどこまで進み、どこで頓挫したのか、という実態が徐々に明らかになりつつあります」

 

由義寺の塔の建築資材である凝灰岩切石や鉄釘
由義寺の塔の建築資材である凝灰岩切石や鉄釘
版築層の上層部が由義寺の塔
版築層の上層部が由義寺の塔
文化財調査官の大澤正吾さん
文化財調査官の大澤正吾さん
発掘された日本列島2023
『発掘された日本列島2023』文化庁(編)、B5判72ページ、税込み1980円