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【スピリチュアル・ビートルズ】音楽の力で東日本大震災からの復興支援を続ける プロジェクト「ビートルズのチカラ!」

被災者のメッセージが書き込まれたポスター(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。
被災者のメッセージが書き込まれたポスター(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。

 2011年3月11日の午後2時46分、東日本大震災が発生した。誰の記憶にもないほどの大きな揺れに襲われたばかりか、巨大な津波が押し寄せ、そのうえ福島第一原発事故が発生し、メルトダウン(炉心溶融)する大惨事となった。

 地震や津波の被害による宮城県の死者9,544人、行方不明者1,213人、関連死の死者930人。岩手県の死者4,675人、行方不明者1,110人、関連死の死者470人。福島県の死者1,614人、行方不明者196人、関連死の死者2,333人を数える(警察庁、復興庁の発表より)。全国では、関連死を含めた死亡者と行方不明者は合わせて2万2,207人に上る。

2011年3月11日、津波が引いた午後4時ごろの石巻市の様子(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。
2011年3月11日、津波が引いた午後4時ごろの石巻市の様子(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。

 3.11からわずか4カ月後に、東北地方のビートルズを演奏するアマチュアバンドによる震災復興支援プロジェクト「ビートルズのチカラ!」がスタートした。出演者・スタッフが手弁当で音楽イベントを行い、収益をすべて義援金として被災地に送ることを始めた。

 きっかけは、「フォーセイル」という福島の地元バンドが震災の翌月にライブを迷いながらも敢行したところ、大盛況だったことがあった。「みんな疲れていたのでしょう。“Let it be”や“The long and winding road”といったビートルズ・ナンバーを演奏すると、泣き出してしまう人がいたのです」とバンドの一員で、のちに「ビートルズのチカラ!」実行委員会代表となったゲンキー松浦さんは当時を振り返って語る。

 そこでゲンキー松浦さんたちのように活動している東北のビートルズバンド7組に声を掛けたところ、みな震災復興支援プロジェクトのアイデアに賛同してくれた。ゲンキー松浦さん自身は3.11の時、東京にいた。翌日、14時間かけて車で福島市の自宅マンションに帰宅したが、自宅は半壊しており、引っ越しを余儀なくされたのだ。

2021年3月、東京五輪聖火リレーが通った双葉町の通りから100メートル離れた場所には時が止まったままの掲示板が・・・(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。
2021年3月、東京五輪聖火リレーが通った双葉町の通りから100メートル離れた場所には時が止まったままの掲示板が・・・(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。

 被災者でもあるゲンキー松浦さんが行動を起こすのは必然でもあった。同年7月16日、第1回「ビートルズのチカラ!」が仙台のライブハウス「ペニーレーン」で行われた。「親戚や友だちを亡くした人、家が流された人など、出演者やお客様も全員が被災者でした。だからこそ、私たちが“発信”をする意味があると思ったのです」。

 活動基本方針は次の通り――。

 「我々はビートルズが持つ音のチカラ、詩のチカラ、ビートルズという響きそのものが持つ力を信じ、ツアーライブ等の活動という形で、音に変え、言葉に変え、空気に変え、天災人災を問わず災害被災地の復興支援活動を継続的に行うことを信条とする。本活動を通して、僅かながらでも被災地域の応援をし、被災された方々に希望と勇気を与え、また、それらの災害を復興経過とともに後世に伝えることで、国民の防災意識等が高まるように、ビートルズのチカラ!の活動の意義を広く発信するものとする」

 ゲンキー松浦さんは「単なるバンド大会ということではなく、震災のこと、被災体験のこと、被災地の現状などの話を必ずすることにしています」と語る。震災パネル展や福島県浜通りから避難した出演者のMCはもちろん、他の被災者を招いて話をしてもらうことも。

 東北以外の人たちは、震災後の復興の現実を知らないとゲンキー松浦さんは感じている。「原発エリア(の復興)はまだまだ。人が全然故郷に還れていない。報道が仮に1,000人戻ったといっても、実質的に元住民は100人という感じです。震災後、メディアを信じなくなりました。関連死も福島がダントツに多い。家を追われて自ら命を絶った人も多い。2,300人を超えています。こういうことは報じられないのです」とゲンキー松浦さんは語る。

 「道路や防波堤などの“ハード”の部分はどんどん出来上がっていくけれど、心の傷などの“ソフト”の手当てがなされていない。人の心はそう簡単には立ち直れない。(親しい人が)亡くなった現場を実際に見ているわけだから。気仙沼のメンバーが言っていました。“僕らは、生かさせてもらった。この現実を後世に伝えることは、我々の使命だ”と」

気仙沼市のバンド「 THE BEATLAS」(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。
気仙沼市のバンド「 THE BEATLAS」(写真提供「ビートルズのチカラ!」)。

 東日本大震災後も、各地で災害が相次いでいる。2016年4月のマグニチュード7.3を記録した熊本地震(死者270人超)、2017年7月の九州北部豪雨(死者およそ40人)、2018年7月に広島など西日本を中心に発生した豪雨(死者約240人)、2019年10月の台風19号(死者120人超)、2020年7月に熊本を中心に発生した集中豪雨(死者80人超)など。

 ゲンキー松浦さんは「福岡、熊本、広島などからも東北は支援を受けてきた。これからは東北だけでなく他の地域も応援することでお返しをしたい」という。1986年に原発事故があったチェルノブイリ出身で、現在は日本在住のウクライナの歌手で民族楽器バンドゥーラを演奏してくれたことがあるカテリーナさんには戦災支援のための義援金を渡した。

 ゲンキー松浦さんによると、2011年7月から2022年12月1日までに、「ビートルズのチカラ!」プロジェクトは、のべ292万円の義援金を被災地に寄付した。津波後に新たに建設された宮城県気仙沼市の公民館にドラムセットや音響装置を贈ったことがある。

 ゲンキー松浦さんらは「ビートルズのチカラ!」のおかげで、あこがれのポール・マッカートニーに会うことも出来た。2013年11月18日、11年ぶりに来日したポールは、東京ドームで、福島、浪江、いわき、釜石などの被災者およそ10人と面会してくれたのだ。

2019年4月2日 郡山公演中のリンゴスターが我々を応援してくれた。
2019年4月2日 郡山公演中のリンゴスターが我々を応援してくれた。

 ゲンキー松浦さんが復興支援活動のことを説明し、「東北の人たちはあなたの歌を必要としています。東北に演奏に来てください」と話すと、ポールは「OK、わかった。約束するよ」と真剣な眼差しで答えてくれたという。

 その晩のコンサートでは、「イエスタデイ」を歌う前にポールは「Fukushimaのために歌います」と言ってくれた。「私たち東北人の心とポールの心が通じた瞬間です。私は涙が止まりませんでした」とゲンキー松浦さんは感慨深げに振り返る。

 コロナの流行で2019年半ばからはライブ活動は休止中だが、「東北応援缶バッジ」などのグッズを製作・販売し、売上金の一部を復興支援事業に寄付している。また、「ビッグコミック」表紙デザインを担当していた金子ナンペイさんから寄贈された絵をTシャツにして送料込み2,500円で販売中。そのうちの500~1,000円が義援金として寄付される。注文はメール(info.beatles.power@gmail.com)でお願いしたいという。

文・桑原亘之介