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【スピリチュアル・ビートルズ】天才の光と影 映画『ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男の真実~』のロジャー・アプルトン監督に聞く

ジョン・レノン。 ⓒSEIS Productions Limited
ジョン・レノン。 ⓒSEIS Productions Limited

 ドキュメンタリー映画『ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男の真実~』(原題「Looking for Lennon」)は、幼なじみ、バンド仲間、美術学校の同級生など多くの当事者の証言を通して、天才を形作った幼年・青年期の光と影に焦点を当てた作品だ。

 ジョンの42回目の命日である今年12月8日(木)に日本公開される同作品(2018年英国/93分/配給NEGA)の監督・編集はロジャー・アプルトン。

ロジャー・アプルトン監督。
ロジャー・アプルトン監督。

 ジョンの生い立ちの話は、彼の発言や伝記でも語られていることから、ご存じのファンも多いかもしれない。だが、多くの当事者の生の証言は、BGMとして流れる当時の音楽とともに、私たちをジョンの子ども時代へと誘ってくれる。
 このほど、アプルトン監督がオンラインでのインタビューに応じ、こう語った。

 「私は長年のビートルズ・ファンです。彼らはいったいどこから来たのか? 私はいつもジョンこそがバンドのリーダーだと思っていたので、ジョンがどのような子ども時代を送ったのかを知ることが、ビートルズがどこから来たのかを知ることにつながると考えたのです」

 1958年生まれのアプルトン監督は、ビートルズのデビュー・シングル「ラブ・ミー・ドゥ」から聴いていたという。5歳年上の姉の影響があった。

 「私は最初のアルバム(『プリーズ・プリーズ・ミー』)の冒頭(「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」)が大好きです。1962~63年には大きな文化シフトがありましたが、ポール・マッカートニーの「1、2,3,4」というシャウトこそすべての始まりでした」
 「ビートルズは私の人生のサウンドトラックなのです」

 ジョンについての映画はまず、英国北西部の港町リバプールの話から始まる。アイルランドで主食のじゃがいもの不作による飢饉(ききん)が発生し、多くの人が対岸のリバプールに逃れた。ジョンのルーツもアイルランド移民にあることは知られている。

 父アルフレッドと母ジュリアの複雑な関係があり、ジョンは彼らのもとで暮らすことができなかった。そしてミミ叔母さん、ジョージ叔父さんのところに預けられた。それを映画では、ジョンはまさに「リバプールの移民」だったと呼んだ。

 ビートルズ歴史研究家のデビッド・ベッドフォードと詩人で作家のポール・ファーリーが想像力豊かに語り合うのも、この映画の特徴の一つ。ジョンが5才だった1946年春からビートルズ・デビューの翌年’63年までミミ叔母さんと暮らしたメンディプスの家の前では、寝室でジョンが読んでいただろう本を想像(イマジン)する。

 さらにはジョンがのちに「Nothing is real」と歌にした「ストロベリー・フィールズ」も訪れ、いかに非日常の空間が当時広がっていて、ジョンに影響を与えたのかを話し合う。現在の同場所を覗いて「リアル(真実)がリアル・エステイト(不動産)になってしまった」とのジョーク交じりの発言も飛び出し、微笑ませてくれる。

 クオリーメンの成り立ちが当時のメンバーたちによって語られる。ジョンがリトル・リチャードの「ロング・トール・サリー」に影響を受けたこと、ロニー・ドネガンなどを歌う、スキッフル・グループだったクオリーメンが、エルビス・プレスリーの影響で、ロック・グループへと変貌を遂げていくことなどが証言される。

 そしてもちろん、1957年7月6日、ウールトン地区の聖ピーターズ教会で行われたガーデン・パーティの際に、ポールがジョンに紹介されたエピソードも語られる。初対面のポールがジョンのギターをチューニングし直し、右利き用ギターを器用にさかさまにして「トゥエンティ・フライト・ロック」を披露した話だ。

 学生時代、周囲のジョンへの評価は大きく分かれた。ジョンの情熱は次第に音楽に向けられていく。ジョン、ポールに年下のジョージ・ハリスンが加わったが、おもしろいのは「ジョージは他の2人よりギターが上手かったから生意気なことがいえた」との話だ。

 ジョンの成功前のストーリーは、ビートルズがバンドとしての底力をつけたドイツ北部の港町ハンブルクでの修行時代のエピソードで締めくくられていく。

 アプルトン監督が明らかにしたのは現在、ハンブルク時代のビートルズについてのドキュメンタリー映画を制作中だということ。「来年に完成させようと思っている。世界配給されるので、日本でも公開されるでしょう」とアプルトン監督。

 アプルトン監督は、ビートルズが有名になるまでの時期に特に興味を抱いている。その時期で最も面白いと思うレコーディングは1962年の『ビートルズ・ライブ・アット・スター・クラブ・イン・ハンブルク』だとアプルトン監督は語る。
 「ロックン・ロール・バンドとしてのビートルズを一番よく表している」

 ビートルズの面々がハンブルクで知り合った「クラウス・フォアマンのアート作品の権利を獲得したので、それを使っての再現ドラマを撮影中」だという。

(左から)ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー。 ⓒSEIS Productions Limited
(左から)ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー。 ⓒSEIS Productions Limited

 今回日本公開されるジョンのドキュメンタリー映画に話を戻すと、興味深い話がいくつも散りばめられている。その中の一つに次のようなものがあった――「ジョンは若い時の愚行を償うために、のちに多くのチャリティーをやった」。人類愛にあふれた作品「イマジン」(’71)誕生の背景にはそういうことがあるのかもしれない。

 なおアプルトン監督にとってビートルズ解散後のジョンのソロ作品でもっとも好きなのは遺作になった『ダブル・ファンタジー』(’80)だという。「悲惨な出来事が起きてしまったけれど、今、私たちにできることは、もしジョンが生きていたら、どんなに素晴らしい音楽を作っていただろうかと想像(イマジン)することではないか」。

文・桑原亘之介