イランのピリついた寒さと乾燥した大地で、エッセイを書いています。安心してくださいね。ラクダではなくソファーに座っています。日本では、イランというと「イラク?」と数回に1回は間違われてしまいます。だからといって嫌な気持ちにはなりません。なぜなら「ひとくくり」にみえてしまう気持ちはどの国の人もお互いに持っていると思うから。
例えばですが、私は日本に長く住んでいますので、日本の方の特徴や雰囲気は一目で分かります。ですが、住んでいなかったら、私だって日本と隣国の方々との区別がちゃんとついていなかったと思います。そういう意味でも「ひとくくり現象」はよく起きている。実際にアフリカ大陸といっても、それぞれの国の歴史、部族や思想は異なる。でもそれは「出会って」初めて気づく違いだと思います。そういう意味でも、イランについて日本の方々がどんな印象を持たれているのか、街頭インタビューしてみたいです。
もしくは大好きな番組「月曜から夜ふかし」で取り上げてもらえないだろうか?(ここだけの話、2度ほど街頭インタビューに答えたのですが、残念ながら放送には至らず・・・)そういう話はいらんですね。今でこそこんなダジャレが言えるようになりましたが、子どもの頃は、誰かが冗談でも「イランはいらん」といったら大泣きをして怒っていました。
やはり私の中には祖国の血が流れているのだ。そして大人になってからはより一層、祖国に敬意を持つようになりました。
今回イランへ戻って色々気づいた事がありました。実は私は普段コーヒー派なのですが、祖国イランに戻るたびに、見事に紅茶派になってしまうのです。そして「目つき」が不思議と変わってしまう。どちらかといえば「キツい」目つきになるのです。これは意識していないのですが、滞在4日目になって鏡で自分を見た瞬間に別人に見えて怖くなってしまう。
日本にいると表情が穏やかなのに祖国では鋭い。イラン国内の人々も、同じように鋭い針のようなまなざしをしています。決して意地悪な人々ではないのです。みんなすごく優しくて人情味あふれています。ただ、インフレによって、経済制裁によって、国というよりも、人々が貧しくなっていく。日に日に生活が困窮していく。アメリカによる経済制裁が長期にわたって一般市民を苦しめています。
今回は移動手段として何度か「スナップ」というタクシーアプリでタクシーを手配しました。多くのドライバーさんたちは二足のわらじではなく三足のわらじで生きていた。中には自分の会社を持っていたり、実は社長だったり、もしくは運転手の仕事以外に、3カ所で異なる仕事をしていたり。そうでもしないと家族を養えないのが現実。体も心もボロボロの人々と今回も多く出会った。
私はあまりイラン人にはみえないらしく、それに加えペルシャ語も訛(なま)っているらしく「どこの人?」と聞かれるか「海外で生活してる?」と高確率で聞かれる。今は日本で生活していると答えると「アナタは幸せ者だ」とよく言われます。本当に私は幸せです。
もちろん祖国を愛しています。ですが、私のもう一つの祖国が「日本」であるのも間違いない。イランに帰るたび緊張感が走るのに対して日本に帰ると安心感に包まれる。いつかは緊張せず祖国にも帰れたらいいなぁ、と。おいしい角砂糖をほっぺの裏側に入れ熱い紅茶を飲みながらお別れです。
「また帰ってくるからね、もう一つの祖国よ」
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 6からの転載】
サヘル・ローズ/俳優・タレント・人権活動家。1985年イラン生まれ。幼少時代は孤児院で生活し、8歳で養母とともに来日。2020年にアメリカで国際人権活動家賞を受賞。