ふむふむ

【スピリチュアル・ビートルズ】聖人ではなかったが人間だったビートル 「悪魔のジョン・レノン」を読んで

 とんでもない本が出た。岡田ナルフミという人が書いた「悪魔のジョン・レノン」(たま出版)である。帯には「ダークサイド・オブ・ジョン・レノン」とある。

 ジョンを神格化するような人々がいる一方で、この著者は「(ジョンの)リビドーはイエス・キリストへの嫉妬心だった」と断じている。ちなみに「リビドー」とは精神分析学で「人間の行動のもとになる性的欲望」という意味である。

「悪魔のジョン・レノン」(たま出版)
「悪魔のジョン・レノン」(たま出版)

 著者は、ジョンのいわゆる「キリスト発言」はもとより、幼少期に描いたキリストの絵のこと、日曜学校でガムを噛んでいたこと、牧師の格好をしてふざけていたこと、カトリックの尼さんたちの頭上に小水を浴びせたこと、などなどを挙げて「ジョンがイエスをバカにして生きていく気概を持っていて、それを行動に移してきた」とする。

 また、ジョンのことを「保守的なことを劣っているとみなす不自由さ」があるとか、「キリストとは全く逆の性格をしている」とか、例えばマーチン・ルーサー・キング牧師など「立派な人をほめることができない人」だったと著者はいう。

 著者は、バチカン法王庁が1966年のジョンの「キリスト発言」について2008年になって赦したということには全く触れてはいない。

 さらに、いくつかのいわゆる暴露本をネタ元に、ジョンの若い頃の奔放な異性関係や、生涯続いたともいわれているドラッグとの関係をとらえ、彼を悪魔と同一視すらしている。

 ジョンの妻であるオノ・ヨーコにも矛先が向かった。ヨーコのキリストを例えに使った発言をとらえて、「アンチ・キリストが出現させるための地ならしをしているようなものだ」とまで書くほどに、極端にバランス感覚を逸している。

 ジョンが受けたアーサー・ヤノフ博士のプライマル・スクリーム療法が影響を与えた彼のソロ作品『ジョンの魂』、『イマジン』では「母親のことが中心題材にはなっていないと私(著者)は判断をしている」と書いているが、果たしてそうだろうか。

『ジョンの魂/ジョン・レノン』
『ジョンの魂/ジョン・レノン』

 『ジョンの魂』の冒頭を飾るのは、ずばり「マザー」(母)という歌だ。そして同アルバムの締めくくりとなるのが「母の死」という作品である。幼いジョンを置いて家を出て行ってしまった母ジュリア、そしてジョンとの関係がうまくいき始めた矢先に交通事故であの世に行ってしまったジュリア。ジョンは二度、母を失った。

そういう実母との関係から「母なるもの」への憧れが強かったジョン。その心の穴を埋めてくれる女性がヨーコだった。その「第二の母」であるヨーコへの愛を歌った「オー・マイ・ラヴ」と「オー・ヨーコ」がアルバム『イマジン』に収められていることを岡田氏は知らなかったのか、あるいは理解できなかったのだろうか。

岡田氏は『ジョンの魂』に収められた「ゴッド」(神)という作品と、「イマジン」とい

う作品にずいぶんとこだわりがあるようである。

「ゴッド」については「神とは苦しみを図る概念のひとつだ」という歌詞に噛みついている。「音楽界でジョンほど、神を否定する人を知らない」、「彼は(陰謀論において人気のある、人々を善ではなく悪に向かわせるとされる『秘密結社』の)『イルミナティ』の信念と同じことを主張しているのだ」ときた。

「イマジン」については日本国憲法第9条と悪い意味で同じレベルだと岡田氏は断じている。彼はジョンを「他国が攻撃を仕掛けてきても絶対に戦わない」これが「ジョンの平和主義」だとして、「いまだに日本人の中には憲法9条に固執をしていて、平和ボケという最も危険な思想に漬かり、戦争を呼び起こそうとしている人がいる」と書いている。

「兵隊にはなりたくない」という歌もやり玉にあげている。これは単に「死にたくないよ、母さん」という生身の人間の本心を歌っている作品なのだが、岡田氏にかかると、ベトナム戦争中のアメリカだったらこの歌はいいが、日本にあてはめると非常に危険な発想だということになるそうだ。つまり国境を守らねばならない、そのために必要とあらば戦わなければならない、自衛隊に入隊する人がいなくなったら日本は滅亡するというのである。

ジョンを尊敬する人が多い日本、彼の「イマジン」を愛する多くの日本人たちがいることを指摘、それらは日

『イマジン/ジョン・レノン』
『イマジン/ジョン・レノン』

 本人に悪影響を与え、国益を損ねてきたと岡田氏。彼にいわせると、団塊の世代の前の一部分の「特異」な世代、「マッカーサー・チルドレン」と彼が呼ぶ、日本が戦争に負けGHQが「日本洗脳」に乗り出してきたときに多感な時期だった人々と重なり合うという。そしてそれが問題だというのだ。

 岡田氏は次のように言う。「ジョン・レノンの平和主義とはマッカーサー憲法のレベルだ。彼には、9条的で憲法前文的な偽善者の平和主義へと偏るものが備わっていた」、「彼はもともとイエスへの対抗心を魂に持っている。このような人は偽善者になりがちで、彼の女性問題にしろ、家庭問題にしろ、非暴力主義にしろ、偽善者である。ラブ&ピースに関することだって結局は戦争を呼び込む似非平和主義をしているだけだったのだ」。

 宗教の話にせよ、9条の話にせよ、著者は結論先にありきで持論を展開しているように思える。どちらにしても、まともなジョン・レノン批評でも、評論でもない。

 ジョンの死後、巧みな「情報統制」もあって彼が神格化された側面があることは否定できない。ジョンは決して聖人ではなかった。生身の人間だったのである。だが、人間ジョン・レノンには悪い面もあったし、良い面ももちろんあったのだ。

 岡田氏は才能と人徳、才能と人格は別だというが、ジョンが一人のアーティストとして抜きんでた才能に恵まれていたことを否定する人はいないだろう。

 そして現実と理想のはざまにおいて常に理想の方にベクトルを向けていこうとして彼が行動した姿に打たれる人が後を絶たないのも事実である。

 タイトルからして売らんかな精神のとんでもない本であった。もちろん言論の自由は日本国憲法で保障されているのだけれど。

(文・桑原 亘之介)