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リクルートブライダル総研の落合所長に聞く「日本人と結婚」 2010年代の「つながり婚」から2020年代は?

ph1 結婚・結婚式の変遷(ビジュアル) _page-0001

 リクルートブライダル総研の落合歩(おちあい・あゆむ)所長に「日本人と結婚」のこれまでの変遷を家族、働き方、男女の役割などを時代性に照らして語ってもらった。

 落合所長がまずひもといたのは歴史。「諸説はあるものの、奈良・平安時代に上流階級から結婚式は始まったといわれている。その後は、1900年の大正天皇の婚礼が神前式結婚の起源とされ、今日まで続いているそれの始まりと考えられている」。

 1923年に帝国ホテルでいわゆるホテルウエディングが始まった。第二次大戦開戦後は簡素になったものの、戦後に上流階級から復活し、一般化し始めたとされる。70年前後には芸能人の結婚が相次ぎ、軽井沢などでのリゾート婚が注目を集める。

 そして、のちの平成天皇、当時の皇太子と美智子さまの結婚(1959)が社会的なブームを巻き起こし、それも一般に結婚式が広がりを見せていく大きなきっかけとなった。

 90年代初め、「バブル経済が崩壊し、結婚式は見せる場であるものの、本質的なものに戻っていった」と落合所長は語る。続けて「2000年代にはITバブルがあり、ゲストハウスでの式が広がっていく。自分たちだけというよりもゲストと一緒にということ。2010年代は大震災の影響もあり、より一層本質的なものに変わっていった」。

 結婚自体は「男女の役割分担の変化が大きい。かつて男性は外で働いて、女性は専業主婦であり、80年代くらいまでは専業主婦家庭が主流だった。やがて女性の社会進出が進み、それが徐々に変化していき、2000年代には共働きが主流になった」と落合所長はいう。

 また出会い方も大きく変わったという。落合所長は説明する。「60年代のお見合いから恋愛結婚が主流へとの変化があった。お膳立てされた結婚から自分で相手を見つけるようになり、それが今でも続いている。この10年くらいは、相手となかなか出会えなくなり、それを背景に結婚サービスが台頭してきたのです」。

 子どもの数も戦後は4、5人いたものの、高度成長期の70年代にはおよそ2人となり、その傾向は30年くらい続いた。2000年代に入ると子どもの数は下がっていき、今や2人を下回っている。「結婚しても子どもを持たない選択をする人もいるなど、多様になった」。

 80年代までは結婚するのが当たり前だと思われてきたが、90年代以降は選択をする時代になったと落合所長はいう。例えば、男性は50才で未婚の人は90年代まではほとんどいなかったが、それ以降は4人に1人が結婚しない時代となったと説明した。

 披露宴については、かつては「新郎の父親が新婦を紹介する場という考え方だったといわれている。つまり家と家の結婚で、招待状も20年くらい前までは父親の名前で出されていたケースも目立った」と落合所長は説明する。「それが個人のものになりつつある。招待状も新郎・新婦の名前で出すことが多くなっていった」。

 招待する客についても「終身雇用が当たり前だった時代には、会社の人たちや、父親の知り合いをよぶことも普通だった。家のイベントだが同時に社会性を持ったイベントだったのです。それがいわば自分たちだけのイベントとなり、友だちをゲストで招待することが増え、義理でよぶような人は減ったのです」と」落合所長は述べた。

 リクルートブライダル総研は、時代とともに変化してきた結婚をキーワードで表している。1980年代はバブル経済の影響もあって、ゴンドラや金屏風など物質的なものが重要視される「派手婚」。続く90年代は、シンプルな結婚報告にとどめた安室奈美恵さんに象徴されるように本質を重視する「地味婚」。

 2000年代はみんなで楽しい時間を過ごす「アットホーム婚」で「自宅でのおもてなしのような気取らない雰囲気」をコンセプトとして、ゲストハウスの一軒家を貸し切っての式などが流行したのも特徴。2010年代は、東日本大震災があったこともあり、絆や家族を重要視する「つながり婚」がキーワードとなった。2020年代は「むすびめ婚」で「改めて自分が関わってきた人たちとの絆を確認する意味あい」だという。

リクルートブライダル総研 落合歩所長。
リクルートブライダル総研 落合歩所長。